第5章 ヒトの進化
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1. 生物界におけるヒト
生物界におけるヒトの地位
ダーウィンが長い間進化に関する自説を公表するのを躊躇していたのは有名な話 教会と正面から対立することになる
19世紀後半の時代には、古人類の化石などヒトと他の霊長類とのつながりを示す決定的な証拠は殆ど知られていなかった
ダーウィンや、E.H.ヘッケル、T.H.ハックスレイといった前世紀の生物学者たちは、おもに比較解剖学の知見をもとにして、ヒトが霊長類の一員であることを示そうとした 人類進化に関する先史学や自然人類学の直接的な証拠が示されるようになったのは、20世紀に入ってからのこと 1950年代以降、先史人類やヒトと他の霊長類をつなぐ古霊長類の化石が各地で発見され、1960年代からは生化学的手法を用いた系統復元の手法が次々と開発された
解剖学的構造だけでなく、行動や生態も含めた霊長類の比較研究も進展した
今日ではヒトはHomo sapiensという学名を持ち、哺乳類の中の霊長類の一員であることを誰もが常識として知っている
ヒトと他の霊長類の系統関係となると、一般にはまだ十分に認識されているとは言えない
ヒトは非常に特別な霊長類だという考えは根強い
専門家にとっても、人類進化史が大きく塗り替えられたのは近年のこと
1970年代の系統分類学では、類人猿とヒトの間には大きな断絶があった 分子系統進化学の結果を考慮した分類では、ヒトはチンパンジーとごく近い霊長類だということがわかった チンパンジーは現在のヒトの祖先がどのような動物であったかを類推する手がかりを与えてくれる特別な生物
生物界におけるヒトの位置を知るとは、ヒトという生物が進化的に背負っている制限要因を知るとともに、ヒトがなぜどのように特殊な生物であるかを知る機軸を得ることだと言える
霊長類としてのヒト
生物である以上、さまざまな系統的な制約を追っている
空を飛べないのは、ヒトが哺乳類であるというのが最大の理由 コウモリのように翼を持った哺乳類もいるが、哺乳類の基本構造(たとえば重い骨)は空を飛ぶには不向きにできている ヒトは哺乳類であるがために、恒温性を備え、多少の温度変化には影響を受けずに生活できる 母親が妊娠と授乳の役割を負うことは哺乳類であることのもっとも大きな制約 霊長類はおよそ6500万年前に登場した分類群で、大きく、原猿類と真猿類の二つに分けられる より原初的な形態を維持する原猿類にはアジア・アフリカ産のガラゴ・ロリスの仲間とマダガスカルに住むキツネザルの仲間が含まれる 霊長類は他の哺乳類にはない、いくつかの特徴を備えている
手先の器用さと優れた視覚
基本的には樹上生活における適応の産物
リスもそうだが、霊長類は木の実を専門に食するリスと違って、枝先の果実や花まで利用する(この点では鳥類に似ている) 枝先をしっかりと握りながら果実を割ったり、むいたりすること、果実の位置を正確に定位すること、熟れ具合を色で確かめることなどが、他の動物群にはない物体操作に優れた手、3次元的な立体視、色覚を生んだのだと考えられる イヌやネコなど哺乳類は一般的に色の識別がほとんどできない 相対的に大きな脳
「相対的に」という意味は、体重の影響を取り除いてもなお、ということ
身体が大きくなればそれを制御する神経系も複雑になるので、クジラの脳はヒトの脳よりも大きい
とりわけヒトは大きな脳を持っている
霊長類はなぜ大きな脳を持つのか――社会脳仮説
大きな脳を持つことは、きわめて大きな生存上のコストがかかっている
脳は一旦壊れると細胞が再生しない
成長させ維持するためのコストが非常に大きな器官
ヒトで言えば、脳は体重の約2%しかないのに、全代謝エネルギーの約20%を消費するきわめて燃費の悪い贅沢な器官
霊長類には、このような大きなコストを払うに値する何かがあった(ある)のかが問題となる
一つの仮説は、霊長類の食生活に伴う適応だという考え
果実は草や葉に比べて供給にむらがあるので、果実食には予期や記憶の能力が必要とされるだろう、というのが論拠
霊長類の種間比較からも果実への依存度の高い種では相対脳重量が大きい傾向が伺える
しかし、肉食のほうが果実食よりもさらに餌の獲得が難しく、餌動物に関する知識やハンティング技術の習得に高い認知能力が必要だと考えられる
食肉類は有蹄類よりは相対的に大きな脳を持つが、霊長類には及ばない
第二の仮説は、霊長類の社会性が脳の進化を促したという考え
霊長類の中でも真猿類は、昼行性でからだが比較的大きく、群れを作って暮らしている
霊長類の群れは、恒常的に同じメンバーが一緒に暮らす集団
固定的なメンバーがつねにいっしょに暮らすような集団ができると、そのような集団どうしの間の競争と、集団内部の個体間の競争とが生じる
個体にとっての社会環境は非常に複雑になり、個体どうしの利害の一致も不一致も、様々な場面で生じてくる
群れ生活をする霊長類は、誰もが他のメンバーを個体識別しており、個体間に社会的な順位がある
親子関係、親密度、順位などの社会的情報をかなり細かく持っている
個体同士の連合や駆け引きが可能になり、ますます社会は複雑になる
つまり、もともと固定的なメンバーで恒常的な群れを作るようになった生態学的原因はほかにあるが、いったんそのような群れで生活することが始まると、互いの競争と協調の関係が複雑になり、処理するべき社会的な情報が加速度的に多くなり、それが脳の発達を促したという考え
サルや類人猿は、同種個体が単に群がって一緒にいるだけでなく、生活時間の多くを毛づくろいや子守り、けんか、仲直り、遊びといった社会交渉に費やしている
他者の行動の予測に敏感であるばかりでなく、他者同士の関係も認知し、それを自分と他者との関係に関連付けることができる
社会関係に関する知識が捕食者対策や採食戦略などの知識よりも高い認知能力を必要とする理由は、知るべき対象もまた自分と同じような知識を持っているからにほかならない
繰り返しのある社会的な相互作用では、最適な戦略は一意に決まらず、相手の出方次第
ポールという名のコドモがメルというオトナメスが根茎を掘り出した場面に出くわした
根茎は力のない子供には難しい作業
ポールはあたりを見回し、他のヒヒがいないことを確かめると、突然大きな悲鳴を発した
メルよりも高順位のポールの母親が駆けつけ、メルを猛然と追い払った
二頭のオトナメスがいなくなったあと、ポールは根茎をゆうゆうと食べることができた
A.ホワイトゥンとバーンによると、欺き行動は、原猿類ではみられず、類人猿を含む真猿類で報告が多い 霊長類の脳が他の哺乳類よりも大きくなったのは、とくに新皮質の発達によるもの
脳の中でも進化的にもっとも新しい、もっとも外側の部位で、厚さはわずかに3ミリ程度の薄い層だが、深いしわになって古い脳を覆っている
ダンバーは新皮質と脳の残りの部分の比率を霊長類の生活のさまざまな変数と比較した
その結果、唯一、新皮質の大きさと相関が見られたのが群れの大きさだった
果実食であるかどうか、行動圏が広いかどうかなどは無関係だった
大きな群れで生活するほど新皮質の比率が拡大する傾向が見られた
2. 大型類人猿からヒトへ
大型類人猿――ヒトの揺りかご
大型類人猿の系譜
こう考えると、現生大型類人猿は人類進化の揺りかご期を垣間見せてくれる存在 類人猿は他のサル類とほとんど変わらないくらい長い、約3000万年の歴史を持っている 真猿類の出現は約3500万年前
かつては旧世界の森林のいたるところでサル類を凌駕するほど繁栄していたことが知られている
その後、マカクやヒヒなど雑食性の強い新しいタイプの旧世界ザルにその座を明け渡した 類人猿の特徴
枝にぶら下がり身体をスウィングさせて移動する移動様式
そのため彼らは前肢が後肢よりも長いという解剖学的構造をしている
そういう祖先を持っているからこそ、ヒトの上肢の可動性は非常に大きい
ブラキエーションは四足歩行と二足歩行を橋渡しする移動様式だった
典型的なブラキエーターであるテナガザルは、地上に降りるとなかなか見事な二足歩行 社会構造と社会関係
母親とその娘たちからなる母系血縁集団が核となり、よそからやってきたオスが加わるという集団
真猿類のほとんどの社会では、オスは性的成熟とともに自分が生まれた群れを去り、どこかよその群れに加入する
一方、メスは一生の間、自分が生まれた群れにとどまり、そこで成熟し子供を育てる
つまり、オスが出生地から分散するのに対し、メスは出生地にとどまるという社会
そのため、サルの仲間では血縁関係にあるメスどうしの間に強い絆がみられる
類人猿のすべての種は、メス絆型社会ではない
この3種では息子も娘も両方が親元を離れる
基本的にはオスが生まれた集団にとどまり、そこで成熟して繁殖するが、メスは性成熟前に他の集団に移っていく
その結果、類人猿のオトナメスどうしの間には、サル類に普通に見られるメスどうしの強い血縁の絆がない
群れを作っているゴリラやチンパンジーでも、ある時期に一緒に暮らしているオトナのメスどうしは互いに血縁関係んいなく、また、一生の間にその群れにとどまって暮らすとも限らない
一方、ヒトにもっとも近縁な類人猿であるチンパンジーのオトナのオスどうしの間には、非常に強い絆が見られる
オスたちは協働で自分たちの集団のなわばりを防衛し、隣接集団と戦い、共同で狩猟をし、とれた獲物をみんなで分け合う
オスは一生の間、自分の生まれた群にとどまるので、オトナのオスたちの中には、母親を同じくする兄弟もいる
しかし、その血縁関係だけがオスどうしの絆のもとではない
オスどうしの間には個体間の強い競争が存在し、そこから、複雑な連合関係が生まれる
オス間には社会的順位があるが、高順位を得たりそれを維持したりするには、他のオスたちとの同盟関係が必要
誰とどのように連合を結び、どうやって同盟関係を維持していくか、オスは様々な戦術を編み出している
狩猟で肉が手に入ったときには、誰もに均等に肉を分配するわけではない
自分と同盟関係にあるオスにだけ選択的に分け与える
隣接する、異なる集団に属するオスどうしの間には、メスやなわばりをめぐって激しい競争がある
オスたちはときどきなわばりの周辺をパトロールし、隣接集団の動向を探っている
チンパンジーはよく大きな声を出して互いに呼び合うパントフートという声を出すが、それで互いを個体識別していると同時に、隣接する集団のサイズをも推し量っているようだ パトロールのときは、相手に気づかれないように声を出さず、ひっそりと出かける
チンパンジーは、他のサル類に比べても、もう少し複雑な社会関係や社会的認知をしている可能性がある 類人猿には自己の客観的認知がある
類人猿は鏡で自己を認知することができるが、サル類はできない
類人猿は役割交換ができる
2頭の類人猿にそれぞれ役割の異なる課題を与え、それを協力して行うことにより、両者の目標が達成されるという課題を教える
2頭の役割を交換させると、彼らは互いに仕事をスイッチさせて課題を達成する
サル類では、このようにはいかない
この違いも、おそらく「自己」と「他者」の認知に関係しているのだろう
類人猿は「自己」と「他者」の認知に関してサル類よりも一段進んでいるようだ(板倉, 1999) 道具使用
チンパンジーは自然物をそのまま使って道具とするばかりでなく、自然物に手を加えて道具を製作する
アリやシロアリを食べるための釣り棒
巣の中に差し込むと噛み付く習性を利用する
釣り棒は細くてまっすぐで柔軟でなければならない
木の皮を細く裂いたり、大きな葉をちぎって葉柄や葉脈を取り出したりして、それを巣穴に入れる
アリ釣りをすると決めたときは、予め何本も用意しそれを持ってアリ釣りの場所まで行く、道具の運搬も行う
西アフリカでは、堅い木の実を石で割るハンマリング行動も見られる
鉄床とハンマーの二つの道具が必要
実の部分が飛び散らないように、力の入れ方に注意が必要
それぞれの個体が試行錯誤してこれを覚えていくようだ
習熟には十数年もかかる
葉をやわらかく噛んでスポンジを作り、木の洞にたまった水を飲むという行動
枝を武器にして投げつける
直接手で触りたくないものを枝で触る
道具使用行動自体は、ダーウィンフィンチの一種がサボテンのトゲを使って木の中にいる毛虫を取り出して食べたり、ラッコが貝を割るのに意志をつかったりと、いくつかの動物でも見られている しかし、類人猿、特にチンパンジーは、道具使用のバラエティも頻度も非常に高く、また、地方ごとに異なる道具使用が見られ、文化伝達の重要性も指摘されている(McGrew, 1992) ヒトの道具使用に比べると、やはりチンパンジーの道具は非常にシンプル
一つの要素がほとんど
鉄床とハンマーは二つの要素になるが、これ以外に二つの要素を持った道具は知られていない
ごくたまに鉄床がぐらぐらするのを防ぐために、下にくさび石を入れることがある
三つの要素になるが、殆ど見られない
道具を作るための道具も知られていない
コミュニケーション
霊長類は音声やジェスチャーによるコミュニケーションがよく発達している
アフリカのサバンナに住むベルベットモンキーは、3種類の捕食者に対応する3種類の警戒音を持っている 類人猿の音声に、このような「単語」に相当するような要素があるという証拠はまだ見つかっていない
類人猿の音声コミュニケーションが、他の真猿類のそれよりもいっそう複雑であるという証拠も知られていない
音声コミュニケーションの野外研究は非常に難しいので、まだ研究者自身がそれらを見つける術を見出していないだけかもしれない
類人猿にヒトの言語に似たものを教える実験研究は1950年代から行われており、多くの知見が得られている 手話やコンピュータを使っての記号操作
類人猿の咽頭の構造はヒトと違うので、ヒトと同じように音声を操ることはできない
結論を言えば、類人猿はサル類と違って、記号操作で言語のようなものを習得することができる
200以上もの記号を覚え、それらを使って人間と会話したり、それを習得した彼らどうしの間でコミュニケーションをとったりすることができる
類人猿(そのほとんどはチンパンジー)が苦手なもの
三つ以上の単語をつなげた文章を作ること
文章を理解することはできるが、自分からそれを発することはほとんどない
カテゴリー化や概念の理解
したがって、類人猿の認知能力一般は、サル類よりも一段高度になっているが、ヒトの持っている言語に関する限り、類人猿の中にその萌芽的なものがあるというわけではないのだろう
猿人――二足歩行する類人猿
ヒトへの道のりは、まっすぐ立って二本足で歩く類人猿として始まった
20世紀初頭には二足歩行よりも大脳の拡大の方が先んじて進化したという見方が支配的だったが、現在の化石の証拠は二足歩行が先行していたことを明瞭に示している
ただし、500~600万年前に、ヒトとチンパンジーの系統が分かれてのち、いつごろからヒトの祖先が直立二足歩行するようになったのかはまだ明らかではない 現在、知られているもっとも古いヒト系統の化石はおよそ450万年ほど前のもので、ラミダス猿人と呼ばれているが、この化石は歯のついた下顎しか発見されていない 最古の直接的な証拠は、約370万年前と推定されるタンザニアのラエトリ遺跡の足跡
大きいものが二組と小さいものが一組
ルーシーの脳容量は400ml程度で、ほぼ類人猿並み
チンパンジーの祖先との分岐から現代人の半分ぐらいの時点でも、二足歩行を除けばヒトの祖先は類人猿とあまり変わりはなかった
そのような化石の発掘地はすべてアフリカ
アフリカの古環境がダーウィンが『人間の進化と性淘汰』の中で予測した通り、人類進化の主要な舞台であったことは疑いない 当時のアフリカは森林地帯の拡大縮小を繰り返していたことがわかっているが、ヒトの祖先は森林とサバンナの境界部で他の類人猿とは異なる生息環境を開拓していたことだろう
アウストラロピテクス類には、いくつかの異なる種類が存在しているが、いずれも体格は後に現れるヒト属よりもかなり小さく、脳容量だけみれば彼らもアフリカ大型類人猿とほとんど変わらなかった 3. ホモ属の進化
猿人の末裔と重なる時代、約二百数十年前に出現した最古のホモ属(ヒト属) ハビリスにもいくつかの傍系種が知られている
これらの最初期のホモ属の脳容量は600から700mlで大型類人猿やアウストラロピテクスと比べて約5割ほど拡大
彼らが発掘されたオルドヴァイ渓谷では、小石から剥片を打ち砕いたタイプの石器(オルドワン型)が見つかっており、ホモ属の誕生とともに粗末ながら加工された石器制作が始まったと考えられる 200~150万年前の遺跡では、加工された石と動物の骨片が一緒に見つかっている
石器を用いて動物の解体
動物を狩猟で手に入れたのか、屍肉をひきずってきたのかは明らかではない
180万年前の最初の氷河期の頃に誕生した新しいタイプのホモ属 推定11歳で、身長が168cm
非常にすらりとした体形で、プロポーションは現代人とほとんど変わらない
生理人類学者のP.E.ウィーラーは、このような体形は、浴びる熱射量を抑えると同時に、内的な発熱量も相対的に現象させる冷却効率のよい設計であると説明している(Wheeler, 1994) この段階でヒトの直立二足歩行が完成し、原人たちは長距離の行動圏を歩き回れるようになったのだと考えられる 原人の化石はアフリカだけでなく、東南アジアでも発掘されている
この時代に彼らがアフリカを旅立ち、アジアまで分布域を広げ始めたことがわかる
エレクトゥスの脳容量は約800~1000mlで、ハビリスよりさらに拡大
約140万年前、彼らの石器には複雑に両面を加工した握斧(アシュレアン型)が見られるようになる 彼らが火を利用していたこともよく知られている
肉食の起源と食物分配――ホームベース仮説
チンパンジーは、基本的には果実を中心にした植物食だが、かなりの程度で肉食もするし昆虫食にも時間を割く とくにオトナオスは頻繁に狩りをし、森林のサル類を枝先に追い込んで落下させて捕らえるという方法をよく用いる
タンザニアの集団の高順位のオスたちは、平均すれば1日100g以上の肉を摂取していたと試算できるので現代人並と言える
人類進化に関して1960年代から70年代に一斉を風靡した考え方
サバンナに進出した初期人類たちが、獲物を狩ることによって知性を増し、道具を進歩させ、肉とセックスの交換によりパートナーの絆を形成し、男性たちは同盟関係を築いたというストーリー
オスの狩猟でヒト的な特徴のすべてが獲得されたと考えるのはあまりにも単純で、男性中心の仮説であり、そのうちに失墜した
確かに猿人や初期ホモ属の遺跡では、人工的に加工された大量の石片と動物の骨が一緒に発掘されることがよくある しかし、猿人やハビリスの時代にどれほどの狩猟に成功していたかは疑問
彼らの身体は比較的小さく、確実に狩猟をしていたという直接の証拠はない
チンパンジーのオスの狩猟効率が高いのは、ライバルのいない森林でサルを狩る技術がそれなりに洗練されているから
サバンナにはライオンやヒョウをはじめプロの肉食動物がすでにたくさんいた おそらく彼らはスカベンジャーだったのだろう
人工遺物と骨片が同時に見つかるのは、そこがヒョウのような肉食獣の採食場所に過ぎないという見方もある
初期ホモ属の遺跡は、狩猟や屍肉あさりによって集めた肉や、採集して持ち寄った植物性食物や小動物を、処理し分配しあう彼らのホームベースだったとする
このホームベースは食料を調達しあう場所であると同時に、子の養育など、様々な集団生活の基地
男性が育児に関心を寄せ、夫婦の絆が生まれ、集団の成員が言語的なコミュニケーション能力を培ったのも、そこにおいてであっただろうとアイザックは考えた
現代の進化心理学者の多くも、ヒトの心の基本デザインができた進化環境として、ホームベースモデルを採用し、それは今日の狩猟採集生活にまで引き継がれているとみなしている
しかし、本格的なホームベースとそこにおける集団生活がヒト族の進化のどの時代から現れたのかに関しては、その後も議論が続いている
アイザックは、ハビリスまで遡れると考えたが、考古学者のルイス・ビンフォードはハビリスがホームベースに持ち帰れるほどの大量の肉を入手した証拠はないと反論 彼は、初期ホモ属の肉食は、運良く見つけた屍肉をその場で解体する程度のもので、屍肉あさりをする人数も、個人単位かせいぜいが小集団に過ぎなかったと主張した(Binford, 1981) 考古学的証拠は十分ではないが、今日では、少なくともハビリス時代の初期ホモ属が、生活の糧となるほどの肉を狩猟によって入手していたとは考えられていない
エレクトゥスの生活
エレクトゥスが有能なハンターであったか、スカベンジャーであったかは依然として証拠が十分ではない
しかし、彼らの身体はウィーラーが説明したように熱効率がよく、長距離の直立歩行に適していた
たとえスカベンジャーであったにせよ、彼らはより広い範囲の土地を手に入れて、暮らしぶりが向上した(捕食者の脅威が減り、採食効率が高まった)結果、脳というぜいたくな器官を拡大させる余裕ができたとも考えられっる
長距離移動能力を得たエレクトゥスたちは、人類の系統として初めてサハラの乾燥地帯を横切ることにも成功し、ユーラシアへと進出できた
今の所、約120万年前までにイスラエル、約100万年前までに西ヨーロッパと東南アジア、約80万年前までに東アジアにまで広がったと推定
今後の新発見で、年代についてはさらに古くなる可能性もある
アフリカを出ることにより、彼らはまったく新しい多様な植物相や動物相に適応しなければならなくなっただろう
エレクトゥスがユーラシアに進出してしばらくすると、氷河期(寒冷期)と間氷期(温暖期)が頻繁に繰り返した時代が訪れた これらを考え合わせると、エレクトゥスの生活環境は、それ以前の初期ホモや猿人たちのそれと比べて、はるかに変化にとんだものだったに違いない
エレクトゥスのほっそりした解剖学的特徴
現代人に似た骨盤の形態からは、彼らがかなり未熟な状態の小さな脳容量の赤ん坊を出産していたことがわかる
新生児を未熟なうちに出産し、時間をかけて成長させる傾向が認められる
母親が独力で未熟な赤ん坊を育てることは、栄養面でも外敵からの防御の面でも非常に大きな負担なので、何らかの養育援助が必要であっただろうと考えられる
人類進化の中で、男性が養育に参加するようになり核家族的な男女の絆が生まれるのはおそらくこの時代だったのではないかと思われる さらに、エレクトゥスの特徴として、体重の性差(性的二型)が初期人類より縮小しているが、このことからも彼らが一夫一妻的な配偶関係を結んでいただろうと推測できる 火の使用
暖をとっていたことや、食料に火を通して調理していたことが示される
特に肉を加熱することは、栄養の摂取効率を著しく高め、多大なエネルギーを消費する脳を維持する余裕が生じたと考えられる
夜間に捕食者から身を守る上でも火は有用だったに違いない
火の入手の時期と方法、目的、恒常的な炉床の使用時期については議論が続いている
石器
握斧と呼ばれる新しいタイプの石器は140万年前に初めて現れる
それ以前の人類最初の石器(ハビリスのオルドワン型)は石を数回から10回割った程度でできる鋭い縁をもつだけのもの 握斧は石の両面から剥片を均等に削り取る作業が必要な石器(アシュレアン型) いくつかの工程をふむ段階が必要で、対称性に関する計画性も要る
さまざまな形の刃面をもつので、切る、割る、こじ開ける、削る、潰すなど用途に応じてさまざまな使い分けが可能だったと思われる
ほぼ100万年間にもわたって、基本的にまったく変化しなかった
生息地の環境も多様だったはずなのに、彼らは目的別に新しい道具を作り出しはしなかった
なお、東南アジアの原人の遺跡では両面加工したアシュレアン型石器がみつかっていないので、彼らは竹で作った道具を用いていたのではないかと推測されている
エレクトゥスの脳容量の増加も技術革新の速度もきわめてゆっくりしていた
現代人が農耕を開始してから現代までが約1万年
4. ホモ・サピエンスの進化
古代型サピエンスから現代人へ
長く続いたエレクトゥスも、およそ40〜50万年前になると、現代人によく似たヒト、古代型サピエンスに主役の座を譲り、約30万年前にはついに姿を消す 当時の地球環境は、いぜんとして氷河期と間氷期の間で激しく揺れ動いていた
今で言う異常気象が当たり前の時代
古代型サピエンスはアフリカ、アジアのみならず、さらにヨーロッパに分布
古代型サピエンスのうちで約20万年前ごろにヨーロッパに現れた人々
古代型サピエンスは現代人よりも大きく、がっしりした筋肉質のからだをしていた
何よりの特徴は、かつてないほどの大きな脳容量
彼らの脳容量約1500mlは現代人のサイズ(約1400ml)よりもむしろ大きいくらい
脳が過酷な環境を生き抜くサバイバルツールの働きをした
古代型サピエンスという呼称は、現代人と同種とみなし亜種と位置づける分類
現代人と同種として扱う理由は、脳容量が大きいから
亜種とされるのは、体つきがかなり違うから
後述するように、現代人とは直接つながらなかったことを理由に現代人とは別種であると考える研究者もいる
これらの古代型サピエンスは、装飾や芸術など文化的な痕跡をほとんど残さず、残された石器のバリエーションも少ししかなかった
彼らは伝統的に「愚かな人々」というイメージで描かれてきた
これらの様々な先史時代のヒトたちは、結局のところ全部が絶滅したと考えられ、最終的にはおよそ3万年ほど前に消えてしまう
古代型サピエンスの精神生活がどのようなものであったのかはあまりわかっていない
言語能力もそれなりに発達していたものの、それは主に社会的情報の交換に関連したものにとどまっていただろうとも述べている
ミズンはまた、特にネアンデルタール人の博物学的知能が特異的に高かったことを評価している
厳寒期のヨーロッパでさしたる技術の蓄積もない状態で、ネアンデルタール人が哺乳動物(主に中型のシカ)を狩猟し、それを冷凍保存するには、動物の生態についての知識や洞窟の在り処などの地理的知識が不可欠だったはず
しかし、ネアンデルタール人にはその後の現代人において発達した認知的流動性(一般知能)が欠けており、芸術やトーテミズム、目的別の道具が現れなかったのは、認知的な柔軟さの欠如によるものではないかと、ミズンは結論づけている 現代人も適応問題に応じた多様な領域固有的な認知能力を備えていると考えられ、それを支持する証拠もあるが、我々の心は領域間を自由に行き来し、それらをつなぎ合わせることもできる
ネアンデルタール人と現代人は脳容量では大差ないものの、流動性ということについて質的な変化があったというのがミズンの考え
彼の議論は、近年の先史学、人類学,認知科学の知見の統合化を目指すものだが、この説明の正しさを支持するためには更に多くの証拠が必要
とくにネアンデルタール人の言語能力については確固たる証拠はない
発掘された彼らの舌骨からは、現代人と同様の発声が可能であったことが示唆されているが、どのようなコミュニケーションを交えていたのかについては現段階では知る術がない
現代人の誕生
解剖学的現代人がどこから現れたのかに関しては二つの説があり、論争はいまなお続いている
アフリカ出身の古代型サピエンスが現代人の起源であるという説
現代人すべての祖先は今から29~14万年前にサハラ以南に住んでいた少数の女性を含む集団に由来するという主張
世界中の147人の女性から胎盤を集め、ミトコンドリアDNAの変異を分析すると、アフリカ女性のミトコンドリアDNAの変異が一番大きく、系統樹を描くとアフリカ以外の地域の系統とアフリカの系統にくっきりと分かれた ミトコンドリアは母親を通じてしか伝わらないので、分子系統進化を調べる上でよく用いられる
世界中の女性の系統はアフリカの系統につながっていることを示している
約100万年前の最初の「出アフリカ」のあともアフリカにとどまり、2回目の「出アフリカ」をした女性を含む集団が、すべての現代人の直系の祖先だろうということ
現代人はそれぞれの生息地域にいたエレクトゥスと古代型サピエンスの末裔であるという説
現代人の脳容量は、ネアンデルタール人に代表される古代型よりやや少ない1200~1500ml
体格もだいぶ華奢になっている
解剖学的現代人の化石は約10万年前のものから発見されているが、その後、変化が少ない数万年が続いた
約6万年前ごろから、人類進化における最も劇的な変化が、突如世界各地で生じた
南アジアのサピエンスがオーストラリアに渡った
舟の制作
4万年前くらいからは、骨角器が世界中で見つかるようになる 3~4万年前に急激な変化がみられる
ネアンデルタール人が姿を消したのもちょうどこの時期にあたるので、このような文化を持つことを可能にさせた現代人の知能が覇者になった鍵であろうと考えられる
なぜ文化のビッグバンが起きたのか
諸説あるが、これらを支持する証拠は必ずしも明確ではない
技術革新に求める説
社会組織がついにホームベースを中心としたものになったからだという説
時制をもち文法的にも洗練された言語が生じたからだという説
ミズンは現代人の心が領域特異的なものから領域間を流動できる心へと質的に変わったからだろうと説明している
社会的知能と博物学的知能が重なるところからは、動物の擬人化や人と自然を重ね合わせるトーテミズムが生まれた 博物学的知能と技術的知能が混じり合うことから、目的に応じて専門的な技術が生じた
社会的知能と技術的知能がクロスオーバーすることから、他者を道具的に使うことや社会的交渉のための道具が出てきた
芸術や宗教や科学は、さらにこれらが一緒になったところに生まれたというのが彼の主張
最古の芸術品とされる、南ドイツで発掘された約3万数千年前のマンモスの牙製の彫像
頭がライオンの男性像
心を生んだ古環境
現代のヒトの諸特徴とされるものが進化した舞台である環境
ヒトが進化したときの環境が世界中で一つのタイプであったとは限らない
霊長類の研究、古人類の生息環境の研究、そして、現代の狩猟採集生活するに人々の研究から総合して、以下のような状況が世界中に分布するヒトに共通のEEAであったのではないかと推定
ホモ・サピエンスの生業形態は狩猟採集
採集対象や重要性は地方ごとに異なるだろう
毎日のカロリーを基本的に支えていたのは採集によって獲得される植物
狩猟によって獲得される動物は、タンパク源として非常に重要であったものの、毎日期待することのできるものではなかったと考えられる
男性が主に狩猟をし、女性がおもに採集をするという男女間の分業があっただろうと推定される
男性が植物の採集をしないわけではないし、女性が獲物を狩ることがないこともない
しかし、大掛かりな狩猟は男性の仕事
後で述べるように、女性はたいてい子供の世話で忙しかったから
このような生業形態を持ったヒトは、何らかの集団を作っていた
血縁関係に基づく関係が核をなしていただろうことと、血縁関係にない個人間にもなんらかの結びつきがあったろうことが推定される
ヒト日常的に付き合いを持つ範囲は比較的狭く、近隣に住む異なる集団間には、強い猜疑心と敵対関係があっただろうと推測される
しかし、集団間の関係は、敵対的なばかりであったとは考えられない
物資の交換
ヒトは、シンボル操作能力を有し、それを音声言語で表現してコミュニケーションの手段として使用している
言語は、能の中にはっきりと組み込まれており、ヒトに特有な重要な特徴 言語そのものがどのような淘汰圧によって生じてきたのかはわからないが、言語を持ったということが、ヒトの認知能力の幅を大きく広げることに貢献してきたと考えられる
ヒトは脳が大きく、成長速度が遅いので、育児にかなりの手間がかかる
哺乳類なので、母親が授乳し、子を運び、さまざまなことを教えるもっとも重要な世話人
エレクトゥスのころから、現代人と似たようなプロポーションなので、このことはその頃から続いてきたものと考えられる
離乳食のない時代には、子供への授乳はおよそ5、6年間続けられてきた
避妊の手段もないため、一人の子供の離乳が終わると、しばらくしてまた妊娠したと考えられる
女性は一生の大半を妊娠しているか、授乳しているか、独り立ちしない子供を抱えているかしていることになる
このことは女性の生活のあり方に大きな制限を課していたに違いない
配偶システムは化石に残らないため直接の証拠はない
性的二型が減少したことや、脳が大きくなるにつれて子供の世話が大変になったこと 少なくとも、母親が一人で子育てにあたっていたとは考えにくく、母親の血縁者および父親が、何らかの育児の分担を行っていたと考えられる
ホモ属の進化環境を考えることは進化心理学において不可欠な作業だが、それだけで人の心の由来がすべて解明できるわけではない
意識は他者がどのような状態にあるかを想像する内的な道具であると考えた
自分自身の内的な感覚や情動を内なる目によって意識できれば、他者の内面について現実的に推測することができる
チンパンジーに心理学的なセンスがあることは、著者達もアフリカでよく実感したことだった
となると、心の進化の問題は、他の動物(特に大型類人猿を中心とした霊長類)の内面世界にまでさかのぼって考えてみる必要がありそう
ヒトの心の進化を考える上では、先史学や人類学に加えて、他の動物との連続性を調べるアプローチが重要 晩年期のダーウィンが執拗に考えていたこと